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東亜グループのあゆみ

東京湾埋立構想から総合建設業へ
1908年(明治41年)、浅野財閥総帥・浅野総一郎が、鶴見川の河口にに広がる海面約150万坪の埋め立て事業計画を神奈川県庁にて提出したことが東亜グループの第一歩でした。そして、建設業界を取り巻く環境が大きく変わっていく中、東南アジアを中心とした海外事業を拡大。2008(平成19)年には創業100周年を迎えました。

TOA HISTORY

東亜グループ沿革CHRONOLOGY

PHASE 01(1908年~1912年)

1908年 浅野総一郎、鶴見・川崎地先の大規模埋立事業を創業
1912年3月 鶴見埋立組合設立
現場を踏査する総一郎

浅野総一郎と東京湾埋立構想

PHASE 02(1913年~1915年)

1913年1月 鶴見・川崎地先埋立免許を神奈川県知事より認可される
1913年8月 鶴見・川崎地先の埋立工事着手
ポンプ船「第一号船」(後の潮田丸)をイギリスより
搭載機器を購入し建造
1914年3月4日 鶴見埋築(株)創立
1915年11月 旭硝子(株)と埋立地7区2万5,000坪の売買契約締結
ポンプ船第一号船(後の潮田丸)

埋立事業の創始、工業地帯の出現

PHASE 03(1920年~1922年)

1920年1月23日 東京湾埋立(株)設立
1922年12月15日 請負工事に進出、横須賀海軍航空隊敷地埋立工事着手
鶴見・川崎間埋立平面図「1924(大正13)年」

関東大震災と京浜工業地帯の発展

PHASE 04(1927年~1930年)

1927年6月 埋立認可を受けた鶴見・川崎地区の埋立事業概ね完成
1927年11月12日 大阪出張所開設
1930年6月 ディーゼル式ポンプ船「武蔵丸」建造
安善町全景「(1928(昭和3)年ごろ)」

昭和恐慌下での経営

PHASE 05(1932年~1935年)

1932年11月1日 請負工事部門を分離し、港湾工業(株)を設立
1933年3月 港湾工業(株)、帝国人造絹糸(株)をはじめとした、
人絹工場用地造成工事受注増加
1935年7月29日 日本フォード(株)と鶴見区末広町の土地売買契約成立
埋立地の販売促進宣伝「1939(昭和14)年」東京湾埋立(株)事業案内

東京湾埋立(株)の変貌

PHASE 06(1937年~1944年)

1937年8月 港湾工業(株)、国外進出。台湾・朝鮮で
大型工事を受注開始
1938年2月 長府出張所開設
1940年6月27日 浅野義夫、社長就任
1944年4月30日 港湾工業(株)を合併、社名を東亜港湾工業(株)とする。
台湾で活躍した高雄丸に続いて当社京浜出張所のドッグで建造中の六郷丸

戦時下、全国各地で造成事業

PHASE 07(1945年~1952年)

1945年9月11日 連合軍の接収により本社事務所急遽移転
1946年4月30日 臨時株主総会で岡部三郎、社長就任
1949年5月16日 東京証券取引所に株式上場
1952年2月11日 ディーゼル式ポンプ船「武蔵丸」を米軍に売却
(ビルマに対する援助物資として)
復旧工事で六郷丸と共に活躍した羽田丸

戦後復興と臨海部への企業進出

PHASE 08(1957年~1961年)

1957年7月 (神奈川県企業庁)川崎臨海工業地帯造成事業埋立工事着工
1957年10月1日 京浜・大阪・下関・北海道支店開設
1961年3月4日 旧本社ビル(千代田区四番町)落成式
建設当時の旧本社ビル 2009年まで本社所在地となった。

第1次埋立ブームの到来

PHASE 09(1962年~1963年)

1962年1月 社内報「東亜」創刊
1963年11月11日 海外事業部(現国際事業部)新設
鹿島港中央航路浚渫「1965年(昭和40)年代前半」

全国に拡大する埋立造成事業

PHASE 10(1964年~1968年)

1964年8月4日 戦後初の海外工事受注(シンガポール経済開発局)
ジョロン地区浚渫工事
1968年1月10日 経営計画(三ヶ年計画)策定
ジョロン地区浚渫工事

体質の強化と計画経営

PHASE 11(1969年~1972年)

1969年9月30日 経営五ヶ年計画発表
1971年 サンドドレーン船1号購入
1972年2月1日 名古屋支店開設
山陽新幹線西厚狭地区路盤その他工事(橋台、高架橋を担当)当社で初めての新幹線工事となった。延長960m、盛土20万m3。

陸上部門へ進出、総合土木を目指す

PHASE 12(1973年~1975年)

1973年12月1日 土木部・建築部新設
東京建設部・仙台支店(現東北支店)開設
1974年8月31日 坂本信雄、社長就任
1974年10月1日 営業本部新設(本社営業部・土木部・鉄道部を統合)
1975年10月1日 長期五ヶ年計画策定

PHASE 13(1977年~1980年)

1977年1月 地盤改良船デコム1号建造
1978年4月1日 下関支店を分割し、中国・九州支店開設
1979年4月1日 京浜支店を東京・横浜・京浜建築部に分割
1980年9月26日 イラン・イラク戦争により、
両国工事中断工事従事者国外退去、帰国
浚渫作業中の東安丸(4,720ps)

海外工事の隆盛と蹉跌

PHASE 14(1981年~1984年)

1981年8月31日 海外不採算工事の影響等で大幅赤字、無配に
1981年4月1日 「活」三ヶ年計画策定
1981年6月26日 乗杉 恂、社長就任
1981年8月 社是・三則・五訓を制定し、再建の指針とする
1984年1月10日 「闘」三ヶ年計画策定 北陸支店、四国支店開設

PHASE 15(1987年~1989年)

1987年4月1日 V経営計画策定
1989年3月4日 創立75周年、シンボルマーク「21世紀への飛翔」を発表
1989年6月29日 松本輝壽、社長就任
東京湾横断道路(アクアライン)

内需拡大の波、大型プロジェクトに参画

PHASE 16(1993年~2007年)

1993年6月29日 北村 博、社長就任
1995年1月 阪神淡路大震災災害復旧活動に注力
1997年4月1日 千葉支店開設
2001年6月28日 渡辺正男、社長就任
2003年12月28日 ISO14001 全社統合認証登録
2005年6月22日 ISO9001 全社統合認証登録
2006年4月1日 鈴木行雄、社長就任
2007年2月15日 新3ヶ年経営計画策定
パシルパンジャンコンテナターミナル

平成不況の嵐に耐えて創業100周年を迎える